2010年7月27日火曜日

エチオピア編②

                 プントの王と王妃そして香料(エジプト・カイロ博物館)
 エチオピアとはギリシャ語で「日に灼けた人」、アラビア人はアビシニアの人を「混血」と呼びます。一説にはキリスト教が40㌫を占め、イスラムが40㌫、原始アニミズムが20㌫と言われ、約26の種族、100以上の言語が混在します。 
処で、古代エジプトで重用され、祭儀に欠かせないものが焚香料(乳香・没薬など)でした。祭壇に生け贄を捧げ、香料を焚き浄め、立ち上る燻煙で神官は天上の神ラーと交信したのでした。為政者は香料を得ることに命運をかけました。たとえば第18王朝ハトシェプスト女王(前15世紀)、その葬祭殿に残されたバスレリーフによりますと、「プントの道を探し求め乳香の國への通路を見出すべし」と神の啓示を受けた女王は、直ちにプントに5隻の遠征船を派遣しました。そしてついに使者は前代未聞の大量の香料と宝物を持ち帰り。女王はそれをアモンの神前にささげ、神苑に31本の香樹をうつし植えたと伝えてます。プントの国とはエチオピアの隣ソマリアか南アラビア辺りと想像されます。その一帯は乳香・没薬などの一大産地であったとされ。今でもエチオピアには没薬が。イエメンの東南部ハドラマウト地方からオマーンにかけては乳香を産出します。 やがて、紀元前11世紀ころにもなると海と内陸の交易ルートは出来上がり。香料をはじめとする交易が盛んに行われていたようです。

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