2010年7月29日木曜日

エチオピア編④発見伝説


コーヒーのバイブルと呼ばれる「オール・アバウト・コーヒー」にはコーヒー発祥地としてエチオピア説とイエメン説をあげ、有名な2つの発見伝説を紹介しています。しかし私の聞き取り調査では、エチオピアの人々は<レバノンの言語学者ファウスト・ナイロニーの「眠りを知らない修道院」1671年>山羊飼いカルディの発見伝説を知っていましたが。片や、イエメン人は誰一人として<アブダル・カディール「コーヒー由来書」1587年>のシェイク・ウマールの発見伝説を知りませんでした。彼らはコーヒーは昔からイエメン(オダイン地方?)にあったのだと信じています。すでに述べたように、太古からの紅海交易のどこかで薬・食料として伝播したであろうことは想像にかたくなく。渡り鳥が運んだ説・動植物条件まで加えると、どちらにあっても全くおかしくはないわけです。それら以上に説得力のあるのが、東アフリカ(東・西)大地溝帯の形成過程でしょう。 エチオピアに行ってまず驚くのは、その景観です。最高峰ラス・ダジャン 4620㍍を筆頭に 2~ 3千㍍の山々が連なっています。東部地溝帯がはしり。それはヨルダン・死海から紅海へ、エチオピアを斜めに二分します。そして南の中央タンザニアの台地に消える。また西部地溝帯はウガンダ・アルバート湖に始まりモザンビークを経てインド洋に達する。遙か 6000㌔の大断層です。地層学的に言えばアラビア半島は今もアフリカ大陸から裂け別れているのです。そして興味深いことには地溝帯に沿って火山帯があり溶岩台地をつくっています。北部になるほど弱く、アルカリ玄武岩等の組成は早く形成されたことを意味するようです。このようなエチオピアとイエメンの地理的連続性を考える時、一方にコーヒー発祥地を決めつけること自体がナンセンスにも思えてきます?!。 横道にそれるようですが、私がモカ・コーヒーに関心を抱いたのはモカの持つスパイシーな香りの正体を知りたいためでした。香りののみものとしてのコーヒーに惹かれたからです。この十数年、度々エチオピアやイエメンに行ってみて、そこでの生活にはさまざまな香料が用られていることが解ったわけです。かつてのエチオピア・イエメンがインド(南海貿易)からイタリア(地中海貿易)に至る香料貿易の中継センターを担っていたことから当然のことですが。それからは興味を持って、古代・中世・近代に至るの香料の歴史を学んだのでした。 コーヒー、それはシバ王国以来の香料交易の延長上にあるのです。没薬などのもたらす薬効をコーヒーが引き継いだのです。


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